Column

病院長コラム

精神のワクチン

 コロナウイルスに対するワクチン接種が進んでいます。国が指定した順にのっとり、医療従事者、高齢者へと接種が行われていますが、全国的にワクチン接種が遅れ気味と言われているものの、私共赤羽中央総合病院では、北区の関係者の大変なご努力のおかげをもちまして、すでに職員への2回の接種も済み、より安心な病院となることができ、まずは関係者の方々に心より御礼を申し上げます。このあとの、高齢者、基礎疾患のある方、そして残りのすべての国民の方々への接種ができるだけ迅速かつ効率よく施行されることを願ってやみませんし、私共でもワクチン接種にできうる限りご協力したいと思っております。

 昨年の初春にコロナウイルス感染症が全世界に拡がって以来、1年以上が経過し、世界の常識や価値観が大きく変わりつつあることは前回のコラムでもお話ししました。変わるというよりは、揺れていると言っても良いでしょう。人間そのものの生命と経済活動の生命のどちらを優先するのか、基本的人権としての社会行動の自由と感染防止のための各種行動制限、心のディスタンスとソーシャルディスタンス等々の狭間で、政治、行政、労働あるいは個人の生活様式がことごとく揺れています。さらにはスポーツや芸術の意義を含めて、不要不急のものとは何か、その価値観すら揺れているわけです。

 一方で、人間のエゴイズムや偏った視点が横行しています。その一つが衛生主義(hygienism)と呼ばれるもので、これは衛生(hygienic)と人種差別主義(racism)を組み合わせた造語で、感染防御の名の下に、アジア人や、あるいは医療従事者だというだけで徹底的に差別したり、人だけではなく、実際は最大限の感染対策をしているにもかかわらず感染防御に反すると少しでも見える事柄や空間(医療施設などを含む)そのものを排斥するという考え方です。日本でも例外ではありません。親が医療従事者という理由だけで子供を預からない保育所、自粛警察の存在、地方では東京ナンバーというだけで車が破壊される、などなど枚挙にいとまがありません。ワクチン接種にいたっても、抜け駆け接種や資格偽装接種なども全国から報告されています。先の大震災の際に被災者の方々が見せた、世界に誇れるほどの日本人の譲り合いの精神や規律正しさは影を潜めているかのようです。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、このようなコロナの時代にこそ、人間の倫理や道徳哲学が成熟し、「精神のワクチン」が作られる必要性を説いています。

 赤羽中央総合病院では、心身共々、全人的に安心安全につながる「精神のワクチン」を常に用意した病院となるように、日々努力いたしたいと存じます。

2021年5月
赤羽中央総合病院・院長 廣 高史